彫るのは自分の顔という説
白衣観音を見てもらったら、私の顔に似てきたと先生に言われました。彫る人の顔になってくる。これ、先輩たちも同じこと言ってました。確かに、そうなんです。仲間の仏像を見ると彫った本人に似ています。ベテラン先輩によれば、形を作るにあたり無意識のうちに見慣れた自分の顔を参照しているからではないか、と。そうなのかもしれませんね。そしたら、毎日自分の顔より美しい像をずっと見ていたら、そのお顔が自然と現れてくるの...
続きを読むクスノキとヒノキの比較
どちらも色合いにおいては木材個々の個体差はありますが、ヒノキと比べるとクスノキは色が濃い目で(ヒノキとあまり変わらない色の物もあります)、木目がそれほど目立ちません。クスノキは芳香と香りの強さも特徴で樟脳(しょうのう)の原料です。彫りたてなら香りも分かります。ただ、彫ってから時間が経つと表面の香り成分が揮発してしまうので匂いも分かりにくくなります。ヒノキは最初白っぽくても時間が経つと色が濃くなって...
続きを読む菩薩と如来 装飾の有る無し
同好会でもたまにそんな話が出たりするし、前に何かでも読みました。修行を終え仏となった如来はもはや己を飾る物は必要ない。従って如来は装飾無し。他方、まだ修行の最中である菩薩は人と同じように装飾品を身に付けている(持物とは別の話です)。菩薩の代表が地蔵さんや観音さんで、彼らは首飾りやら宝冠やらを身に付けています。人であった頃の名残なのでしょうか?対して、如来の代表である阿弥陀さんは確かに衣だけで飾りは...
続きを読む注文制作の小地蔵さん 幢幡(どうばん)
友人から依頼を受けていた小地蔵さん。やっと作り始めました。ケガをして以来、彫るどころか手を使うこともままならない状態でしたから本当に久しぶり。何とか仕上げ作業ができるレベルまで回復したので作業開始です。これはまだ最終仕上前の状態で幢幡もまだだけど。ちなみに幢幡は「仏さまはここにいるよ」と示すノボリみたいなものだそうです。だからお寺の本堂に吊る下がっているんですね。その友人は6地蔵揃えたいと言ってく...
続きを読むなぜ仏像の目は半眼なのか
今日の朝日新聞別紙 be on saturday で、宗教学者の山折哲男さんが「見る者をおびやかす不思議な目」としてコラムを書いていました。日本の仏像にはなぜ半眼が多いのか、と考える前に私は仏像ってそういう物だと思っていたので、他国の仏像が開眼または閉眼であると知ってびっくり。日本特有ですか。へえ~。(前略)半眼系のホトケが圧倒的に多いのであるが、それが開眼や閉眼のホトケたちよりもはるかに威厳があり、しかも美しい...
続きを読む瑠璃観音 頭部の仕上げ完了
首から上の仕上げがやっと終わりました。ただし、目はまだ入れていません。精神統一しないと失敗するんで…そういう部分は最後まで後回し。サイズ感が分からないと思いますので親指と一緒に写してみました。顔の大きさがほぼ親指大ですかね。冠状の飾りを彫っていたら息が苦しくなりまして。何事!?と思ったら、自分で息を詰めていただけでした(笑い)。細かい作業をしているとつい息が止まってしまうのですよ。しっかり呼吸しま...
続きを読む削りかすは煩悩…!?
宗琳さんの本だったように思うのですが、教室で誰かから聞いたのかもしれません。仕上げで出る削りかすは己の煩悩。煩悩をそぎ落とすように、丁寧に薄く削っていくこと。できるだけきれいにしましょう、と。これは仕上げを丁寧に行うための教えなのかも。小地蔵さんをなでて気持ち良いよう頭をつるつるに仕上げるのは私のこだわりでありますが、自分の煩悩がお客さんの所へ行ってしまっては申し訳ないので削りかすを残さないよう、...
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