わずか数%を見てすべてを否定するのか
もっと散歩を楽しめばよかったな、と過去を後悔する気持ちで思い出していたら、楽しそうに笑うゆずの顔が浮かびました。そして「なぜ、わずか数%しかないネガティブ事項へ意識を向けるの」と言われた気がしました。「こんなに楽しかったのに。なんで?(笑顔)」。ゆずと暮らした11年には楽しいことも良かったと思えることもいっぱいありました。散歩の件にしても、命の危機に瀕した8歳以降は散歩時のトレーニングもやめて(ゴハ...
続きを読むゆずが遺していったもの
最近、少し歩くようにしています。普段は10~15分くらい近所を散歩するだけ。週に1回は河川敷へ行って2km弱の散歩コースをのんびり1周しています。河川敷にはゆずとよく行った公園があります。ゆずと公園へ通っていた頃には、まさかこのコースを私がひとりで歩くなんて想像もしていませんでした(ゆずともコースは歩いてない)。満ち潮逆流中ひとりで歩きながら、犬の散歩でずいぶん歩いていたんだなと改めて思います。そういえば...
続きを読むゆずは死なないと思っていた話
去年の今頃、ゆずは死なないんじゃないかと本気で思っていました。現実の体は既に最盛期の7割まで体重が落ち(経験値からはじき出した生死ボーダーライン)、立つこともできなくなっていて、ずっと下痢が続いていました。それでもおいしそうにうれしそうにゴハンを食べ、体を起こしてにこにこしながら私を見つめ、ご機嫌さんで、生きるエネルギーに満ちあふれていたのです。ドライフードが切れそうだから注文しようとした時も、2kg...
続きを読む揺れる心は神仏へ預けて
ゆずの看取りは静かな毎日ではありましたが、決して心穏やかなだけではない時間でした。私には恐れも不安も動揺も、もちろんいっぱいありました。そんな時は Smile Maker(小地蔵さん・脱力型) にお願いしていました。「この揺れる感情全部、丸ごと預けます。だから、感情に惑わされることなくベストな判断をできますように」と Smile Maker を手に持ち、おでこをくっつけて祈りました。ゆずと共に天へ還ったSmile Maker毎朝書い...
続きを読む後悔は原動力に使おう
以前、人は失敗して後悔して学ぶのだと書きました。ですが、ただ後悔しただけで終わったら学びません。学ぶためにはそこから更に1歩が必要。私は大人になったらシェパード犬を飼おうと決めていました。それはかつて、私のせいで殺処分されたシェパードがいたから。祖父は動物が好きで、あちこちから「不要」とされた動物を引き取ってくる人でした。引き取った暴れ牛がお宮の森に逃げ込んで村中総出で捕まえた話とか、羊を引き取っ...
続きを読む死んでいく姿と生きている姿
ゆずを看取った今回より、ハムスターを看取っていた頃の方が精神的にきつかったと書いたことがあります。某講座で知り合ったるーさんがその視点をきれいに示してくれたので紹介します(記事下)。最後の方に出てくるこの一文、「私にできることは ただ、死にゆく人を見つめることしかできないから。」で気付きました。ハムスターを飼っていた頃の私は、大切な者が死んでいくのをただ見ているだけしかできない、そんな日々が苦痛で...
続きを読む悲しみは消える 寂しさは消えない
ゆずが死んでしまった事への悲しみは、ほとんど消えました。悲しみを感じ切った結果です。十分に悲しい気持ちを味わったら呼吸と共に吐き出して大地へ流す、これを繰り返しました。でもね、寂しさは消えません。これはいつまで経ってもずっと消えないものだと思います。薄れることはあっても消えることはない。人間ってそういうものではないでしょうか。私は亡きハムスターや動物たちを思う時、やっぱり寂しいです。何年何十年たっ...
続きを読む「~すれば良かった」 vs 「~しなければ良かった」
20回を超えて動物を見送って思うのは、まあ大抵は後悔することがあるってことです。「~すれば良かった」という「しなかった」事に対する後悔や、「~しなければ良かった」という「した」事への後悔。もちろん後悔のない幸せな看取りもありますけど。相手を大切に思えば思うほど、迷いも深くなりがち。そして、看取りの最中も全てが終わった後も後悔をしがちです。もっと良い選択があったのではないか、と。私に言えることは、どっ...
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