天先そらさき 案内人ブログ

仏像制作を中心に作(創)ること、幸せに生きることを綴ります

続・匂いで合図する

カテゴリ:雑記

夫によれば毎朝、換気扇の辺りに立っている時、ゆずのにおいがするんだそうで。ずっとではなく、ほんの一瞬。1日1回。もう家の中にゆずの匂いを発するような物は無いのに、と不思議がる夫に言いました。それ、ゆずからの合図だよ。ゆずに、分かるように合図してってお願いしたでしょ。だから、分かるように、分かりやすいように、合図を送ってくれてるんだよ。体がなくなってもきっとそばにいてくれて、お願いを聞いてくれる。あり...

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明日明後日は臨時休業

カテゴリ:SHOPのあれこれ

3月15日(火)、16日(水)は臨時休業いたします。よろしくお願いします。...

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怒りを正の起動力として使う

カテゴリ:魂の表現

怒りを感じたらその奥に在る優しさや思いやりや純粋な愛に意識を向けて、怒りのまま発することのないようにしましょう。というようなことを書きました。が、したくてもできない場合もあるかと思います。どうする事もできない感情もあります。その場合はどうするか。怒りを怒りのまま、その爆発力を起動力として使えばいいんです。ただしベクトルは正の方向へ向けること。戦争への怒りを抱えているなら、平和のためにできる事を探し...

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自分の思いが世界に影響を与える

カテゴリ:魂の表現

この写真を見て何を思いますか。ウクライナの人が避難する姿です。2022年3月10日の朝日新聞私は、抱えられた犬と抱えている男性の間の強い絆を感じました。40kg超えていそうな犬を抱えて歩くって、そうそうできる事じゃありません。この犬の心はとても幸せだろうな、と。一緒に行けて良かったね。どんな状況であっても何が起きても家族と共にいられるって幸せだね。もっとネガティブな感情を持つ人もいるでしょう。それは個々の自...

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思いやりを思いやりとして受け取る

カテゴリ:魂の表現

ゆずが死んでしまったことを知った何人かの方からこんな言葉を掛けられました。「また犬を飼えばいいよ」。年配の方々です。昔の私だったらカチンときたかもしれません。ゆずの代わりなんていないんだ、って。だけど今は、そう言ってくれた言葉の奥にある優しさや思いやりを受け取ることができるようになりました。これはこの人にとって最大限の優しい気持ちの表現であることを、私の寂しさを思って目一杯のいたわりを示してくれて...

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苦しみから慈悲と愛が生まれる

カテゴリ:魂の表現

故ティク・ナット・ハン氏の言葉です。2015年にNHKで放映されたものが最近再放送されました。彼はベトナムの禅僧でした。ベトナム戦争により師や仲間が命を落とす中で「怒り」というものと真摯に向き合い、キング牧師と親交を深め、国を追われ、ダライ・ラマと並ぶ平和活動家として世界的に知られるまでになりました。マインドフルネスへ至るための歩く瞑想を提唱してきました。苦しみ方を知ることは慈悲と愛を生むことにつながり...

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人は失敗して学ぶ

カテゴリ:魂の表現

ゆずの看取りにおいては、悔いもなく、細かいあれこれはあったにしても、犬も人も納得できる終末期を過ごせたと思っています。※これはあくまでも私たちにとってどうか、であって他者から見てどうかは考えておりません。でもね、22回目だから。さすがにもう大きな後悔はせずに看取りたいよ(笑)。犬猫の飼い主さんが書いているような後悔や失敗は、ハムスターで散々経験済みです。致命的となる疾患も多種類経験しました。医療過誤...

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中宮寺菩薩半跏像本体完成

カテゴリ:習作

先日も書きましたが、中宮寺の菩薩半跏像(如意輪観音)模刻は本体が完成(あとは眉間に白毫入れるだけ)して台座に入っています。自分としては上々の出来だと思います。先生からも「造作がうまいということじゃないけど彫刻刀の使い方が上手」と、誉められたのかそうでないのか分からない気もしながら、誉めていただきました。でもね、先生は仏像の雰囲気を大切にされるので、雰囲気が良いということなんだなと勝手に◎付けてます...

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手に負荷をかけず粗彫りする方法

カテゴリ:習作

ゆずのことで書きそびれていましたが、中宮寺菩薩半跏像は既に本体が仕上り、台座制作に入りました。元は四角の木材を円形にして久々の粗彫りです。堅い部分を手作業で削ると手が痛くなりますので、私は肩で彫刻刀を押すようにして削ります。彫刻刀の柄の先端を鎖骨の下辺りへしっかり当てて、手で彫刻刀を動かすのと同時に肩でグッと押します。使うのは18㎜浅丸や12㎜平ノミ。もっと大きな物を作る人は刀の幅も大きいですよ。腕だ...

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「人のために」も実は自己欲求?

カテゴリ:魂の表現

ふと思ったのです。私の「人の役に立ちたい」「人のために」という意識の底に、かすかな承認欲求が存在するかもしれないって。真の利他では、人のためという意識すらないのでは。例えば故マザー・テレサ。彼女は、人の役に立ちたいという意識で活動していたのではないと思うのです。そんな意識を超えて、人のためになることは当たり前すぎてそんな意識すら無い状態で動いていたのではないかと思うのです。そう考えたら、私の「人の...

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