仏像制作を中心に作(創)ることを綴ります

個性

2016/02/19
習作

同じ下絵を使い、同じ仏像を手本にして真似て作っても、作る人の数だけ違う仏像が出来上がります。たった1mm彫りの深さが違うだけで出来上がりは全く違って見えます。手本と同じものができるわけもありません。

地蔵菩薩

これが私の作る「顔」

仏像には何百年も積み重ねられた決まり事が沢山あります。例えば足の大きさ、耳の幅まで割合として決められています。私はほとんど知らないけれどもそれらが決まったのにはそれなりの理由や背景があったのでしょう。仏師の方ならその辺もご存じなのでは。

そういう制限の多い中であっても個性がにじみ出す状況を私は面白いと思うのです。自己主張をしようとは全く意図していなくても、それどころか手本のとおりに作ろうと鋭意努力していても、そこに自分が出てしまいます。もしかしたら制限すればするほど個は強く輝くのかも。私は仏像彫刻のそんな繊細な一面が好きなのかもしれません。

制作においては他と違うことが個性であるとは思いません。作り手の感性や思いが形として表現されて初めてそれを個性と呼ぶのではありませんか。逆に言えば、どんなに目立つ他との相違があってもそこに制作者の内面が存在しなければ個性とは言えないように感じます。

また、決まり事を息苦しく感じる人は仏像ではない自由な木彫をする方が合うかもしれません。自分の人生なのだから何を選んでもいいんじゃないでしょうか。興味を持って続けられること、学びたいと感じることが大事なのだと思います。

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