仏像制作を中心に作(創)ること、幸せに生きることを綴ります

誰のための仏像か

2020/07/31
仏像彫刻周辺の話

身近な人が心を痛めていると感じた折には小地蔵さん・こまりちゃんを贈っています。押し付けにならないよう気を付けながら。

で、思うのです。仏像って生きてる人のためにあるんだなと。だって私が贈りたいと思うのは、たとえそれが亡き人への追悼であったとしても、亡き人に対してというより遺された人に対してであるから。仏像は生きている人の心を慰め癒すためのツールなのです。今日を生きるための駆動力。引いては仏教、いや宗教そのものが今生きている人のために存在するのだと、改めて思います。小地蔵さん宝珠+雲座

亡くなった人は肉体から解放されて本来の姿に戻り穏やかで健やかだと思うのですよ。そしたら救いも何も要りません(既に救われてる)。

でも遺された者は寂しいし悲しいし、時には悔いがあったり憤りが湧いてきたりと、穏やかとは逆の状態にあることの方が多いでしょう。亡き者が天国へ行けなかったらどうしようなんて心配する人もいるかもしれません。そういう時には何かが必要。それが仏像や宗教である場合もアリかなと思います。

ところで、地獄があるのはあの世じゃないんですよ。この世です。「死んでから地獄に墜ちたくなければ心を清めよ」は、正しくは「今囚われている深い苦痛から解放されたくば心を清めよ」じゃないかと。これだったら「未来への脅し」ではなく「今を生きるための提言」になりますよね。

ブッダがそんな脅しを説いたとは思えないのできっとどこかで話が曲がったのだろうと私は認識しています。

妙楽寺千手観音

福井・妙楽寺千手観音 平安時代の作

話戻して、生きている人のための仏像なので生きている人がやりやすいような使い方をすればいいのだと思います。そしてそれが次の世代にも役立ててほしいと思える物ならば、そのための手入れも必要となります。1000年を超える長きに渡り受け継がれてきた仏像というのは、それだけ救いの力が大きい存在なのかなと考えたりします。

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