仏像制作を中心に作(創)ること、幸せに生きることを綴ります

手塚アニメの中の観音さま2

2022/03/30
雑記

先日、「どろろ」に出てくる白衣観音について書きましたが、それとは別の観音像で気付いたことがありました。

それは主人公・百鬼丸の母が拝んでいる首のない観音様。赤ちゃんを抱いているから子安観音かな?

首が落ちる前のお顔が、「第十三話 白面不動の巻」に出てくる仏師の彫る菩薩の顔と同じでした。白衣観音とは姿を描き分けてあるので、意図してこのお顔に描いたものと思われます。どろろ首なし菩薩

こうして並べてみるとよくわかります。上が仏師の彫っていた大きめ菩薩像、下が百鬼丸の母が信仰していた観世音菩薩像。だから何、ではないんですけど、こういう隠れたつながりを見つけると楽しいです。

ところで、50代後半の仏像彫刻仲間にどろろの話をしたら、「子供の頃見たアニメのどろろ(1969年制作)はトラウマになるくらいおどろおどろしくて怖かった」と言っていました。

それでWikiなどを見たら、原作は更にすごかったんですね。救いのなさに手塚さん本人が辛くなっちゃったんだろうなという感じ。

手塚作品は命や人間の心を鋭く描いているんですが、手塚さん自身が何らかの辛さを抱えていたのだろうと思います。だから仏の道に救いを求めていた、それが作品として表れていたのでは。

これがもしキリスト教世界の作品だったらどんな風になっただろう、とも考えてみました。

まず、百鬼丸の父が取引するのは鬼神でなく悪魔。百鬼丸の母が信仰するのはマリア像。で、最後は神様が光を放って全てを解決…かな?仏教だと仏さまが出てきて世界を救うって意識はないですけど、キリスト教世界の物語は結構そういうパターンが多く感じます。

ひとつだけ、百鬼丸の体について、背骨の再生後に神経網が再生すると生物学的な整合性がとれて納得できたのに、と思いました。順番逆でないと、神経だけできても脊髄が無ければ脳にシグナルが届かないから感覚は伝わらないと思うのは私だけでしょうかね。

それはさておき、現代の「どろろ」はよくできた作品だと思います。絵もストーリーも美しく、手塚さんの描いた人間世界の不条理を包括して救いました。今の時代だから描ける未来というものもあるのでしょう。

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