手段を目的だと勘違いしたら迷子になる
先述の「完璧を求めると1ミリも動かない」と同時に、もうひとつ学んだのがこちら。
手段を目的だと勘違いしたら道に迷う。
これは具体的な例を挙げた方が分かりやすいですよね。例えば、お金。これは手段です。欲しいものを手に入れるための、快適に安心して暮らすための、愛を表現するための、人を助けるための、etc.…手段です。たくさんあればそれは楽にできるでしょう。
が、それを目的と勘違いすると、お金で止まってしまって本当に欲しいものは得られません。欲しいのは〇〇でお金はそれを得るための手段だと思っているのと、お金持ちになる事が目的だと思っているのでは、全く結果が違います。
お金を否定しているわけじゃないですよ。お金は便利でありがたいものです。ただ、何のためにお金が欲しいのかを忘れると、人生の迷子になるって話。
もうひとつ例えを出してみます。
私の事業は、他者に対して、死別の苦痛を和らげる・今日を穏やかに生きる・ことをサポートするために私ができることとして始めました。事業を成功させること自体が目的なのと、より多くの人をサポートするために事業を成功させたいのとでは、「事業を成功させる」の意味が全く違うことが分かりますでしょうか。たどり着く先が違うのです。
私にとってこの事業は手段です。他者をサポートするための。私にできる事を差し出すための。だから、もしかしたら別の手段が見つかることもあるかもね。
何かに悩んだ時、これは目的なのか手段なのか考えてみると、視点が変わって問題が問題でなくなることもあります。目的と手段の意識は結構いろんな場面で使えますよ。
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